文:福島 由衣
私がまだよっつとかいつつの幼いころ。
母子家庭の私の家では、毎日、お母さんが遅くまで仕事をしていた。運のいいことに、我が家にはおばあちゃんがいてくれて、三食おいしいごはんを作ってくれた。
だけど運の悪いことに、わたしは小麦粉アレルギーで、パンやケーキが食べられなかった。
だからおばあちゃんの作ってくれるごはんは和食が主だった。
わたしは米粒に飽きて、お米が嫌いになった。
嫌いになったけれど、おばあちゃんに申し訳がないから「きらいになったこと」を黙って隠していたら、もっと嫌いになってしまった。
そして小学生になったころにはとうとう、もう食べたくないと口にした気もする。
おばあちゃんとお母さんは私の食物アレルギーが少しでもよくなるように、少しでも色んなものが食べられるように、遠い病院に連れていったり、当時では珍しかった米粉のパンやクッキーを取り寄せてくれたりした。
そのおかげで、私は小学2年生で食物アレルギーをほとんど克服して、小麦粉が入っているものをおいしく食べられるようになった。
今、パンよりお米が好きだ。ダイエットのことを気にしたりして、今度はパンを食べたくないだとか考える。なんてわがままなのだろうとたまに思う。
だけど、小さい頃に感じていたみたいに、もう顔も見たくない! ような気持ちでパンを食べたくないわけじゃない。いろいろ食べられるようになって、料理によってはパンの方があうなあ、とかも知って、その上でお米が好きだ。
おばあちゃんもお米がすきって言う。家族で一緒に、お米のある食事をおいしいねと食べられるとき、何だか特別な感じがする。