「歩く」って、なんだろう?

文:永瀬紗織

ごくごく当たり前にしている「歩く」という行為も、見方を変えるとすごいこと。

日々みなさんがごく当たり前に行なっている「歩く」という行為。
私にとっては奇跡に近いものなんです。

私は生まれた時から左足に指がありませんでした。
足首も動かず、このままでは一生歩くことはできないかもしれないと医者に告げられたそうです。
でもいろんな偶然の重なりと、試練を乗り越えて私は今「義足」という足をつけて歩いています。

何かがうまくいっていなかったら私は今、2本の足で大地を踏みしめることはできていないかもしれない。
そう考えたら、自分の意思で自分の行きたいところへ歩いて行けることは当たり前に思えて実は素晴らしいことのように思えてきませんか?

でも普通に足で歩く人も、車椅子で生活している人も、私のように義足を履いている人も当事者にとってみればみんな“自分の足で歩いている”という感覚なんです。
形は違っても紛れもなくそれは足なんです。
一歩前に踏み出す速さや、歩幅は違ってもみんな同じように前へ進むことができるんです。

私は今日も外へ一歩踏み出すために、靴を履く前に「義足」という名の私の足をまといます。
歩けるって素敵だなぁ。